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宗宮誠祐のblog

名古屋郊外赤池駅近くのジム自由人の代表(ロックジム破天荒、ボンクラージュ、Dioも)blog

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平山ユージの紹介の最後に 2003.3.24

今日は、平山裕示スライド上映会の前座後編をご紹介します。

そーいえば、この上映会には、キューブのTさんがいらしてたなあ。
あ、ズットンのE君も、だ。

****************
平山ユージの紹介の最後に
宗宮誠祐
2003.3.24

ぼくはいつも考えていた。

もしクライミングの盛んなヨーロッパに、平山ユージが現れても、それは、さほどに不思議ではないだろうと。
何万人というフリークライマー
豊富な岩場
クライミングに理解のある多くの人々
そのバックボーンの中から、誰かの手によって、一人の天才が見いだされたとしても、それは、さほど不思議ではないからだ。

それは必然の範囲にある。

しかし、平山ユージは日本に出現した。

そのことに、その確率の低さに、ぼくは驚かざるを得ない。
数千人程度だったフリークライミング人口。
少ない岩場。
そして、文化としてのフリークライミングへの理解など望むべくもなく、クライミングがマイナースポーツでさえもなかった日本。
それが彼を生んだ国であった。

どんな天才も、誰かがその才能に気づき、その価値を示さなければ、それが咲き誇ることはない。
多くの天才は、自分自身さえ、その才能に気づくことなく一生を終える。
それに、誰かが気づいたとしても、その天性を育む土壌がなければ、花開くことは困難だ。
その意味に置いて、ぼくたちの国、日本における、「平山ユージ」というクライマーの出現は一つの奇跡だ。

15年前のぼくは、まだ、彼の豊田でのクライミングの凄さを、ぼく自身の体験として実感することができた。
しかし、現在のぼくは、彼がヨセミテで成し遂げたことを、自分自身でやってみて、その意味を体感することは不可能だ。

ぼくや今夜この会場にいる多くの人は、彼がこれまで成し遂げてきたことと、これから成し遂げようとすることを、自分の身体で、測ることはできない。

ぼくたちは、ピカソのように描くことはできないし
中田のように蹴ることもできない。
アインシュタインのように考えることはできないし
イチローのように走ることもできない。

ぼくたちは、ユージのように登ることはできないのだ。

しかし、そんなぼくたちにも、同じ立場で、ユージと語り合えることはある。
ぼくたちは、そのことを、成し遂げることができる。
困難ではあるが、それは可能なのだ。
ぼくたちには、等しく、その潜在能力が与えられている。
勇気を奮い起こす必要はあるのだけれど。

ぼくは、今夜のはじめに、
平山ユージは人生のオンサイトに挑戦し続けている、と言った。

それは紛れもない事実であり、彼は、クライミングにおいても、人生においても、いくつものシーンをオンサイトしきってきた。
しかし、彼が、最高のレベルで、オンサイトをなしとげたということと、同じくらい重要なことがある。
それは彼のオンサイトトライが、常に成功したわけではない、ということなのだ。

人生は困難なものである。
最高のオンサイト能力を持っていても、自分の限界に挑戦し、最高のパフォーマンスを目指す以上、失敗はつきものだ。

・・・・95年冬エクスレバンでのワ-ルドカップ決勝映像シーン・・・・

しかし、彼は失敗しても、ポジティブに未来を見つめ、決してあきらめない。
失敗に学び、エラーにさえも、人生の楽しみを見つけようとする。
安全圏に踏みとどまるのではなく、新しい目標を掲げ、自分の力を信じ、不安にうち勝ち、新たな未知のリスクを、自らの意思で選択し、挑戦しようとする。

ぼくたちは、傑出した人々に共通する、この姿勢を、忘れてはならない。
未知と困難への挑戦。
それはクライマーという種族が、先輩達から受け継ぎ、後輩たちへ申し送って行かなければならないぼくたちの「思想」であり、もっとも間違っていない「人生の過ごし方」なのだ。

ぼくたちは、ぼくたちなりに、ぼくたちに与えられた能力を、クライミングと人生に振り向けよう。

常に、最善の選択を試み、不安や恐怖にうち勝ち、
受け入れるべきリスクを受け入れ
結果を恐れず、
最善の人生のオンサイトに挑み
もしオンサイトに失敗しても
事実を受け入れ
エラーに学び
自分の価値観を信じ、
あきらめることなく、
次のオンサイトをめざす。

この選択は多くのリスクをともなう。

ぼくたちは多くの困難に出会うだろう。
挫折し、打ちのめされ、傷つく。
裏切られたと感じる。
その屈辱感に、
ぼくたちの多くは、自分の責任を認めず、
それを、誰かのせいにしようとしてしまうかもしれない。
友だちや恋人や家族をののしり、同情に頼ろうとするかもしれない。
そして、そんな自分に幻滅してしまうかもしれない。

しかし、ぼくたちは、どこかで、いつかは
踏みとどまらなければならない。

エラーを認め、失敗に学び、もう一度挑戦しよう。
引き受けるべきことを引き受け
引き受けてはならないことは拒否しよう。
なぜなら、
受け入れたリスクを恐れず、
最後まで挑戦していくことを、あきらめさえしなければ
その生きる姿勢に置いて
ぼくたちも、この非凡なクライマーと、対等の位置を保てるからだ。

すくなくとも、ぼくは、そう信じたい。

平山裕示はいつも口癖のように言う。
「挑戦してゆきましょう。」
だから、ぼくたちも、ぼくたちなりに挑戦してゆきましょう。
クライミングにおいても
人生においても。

ぼくは、一人のフリークライマーとして、この不正出のクライマーと80年代後半に出会えた幸運に心から感謝し、そしてそのことを誇りに思う。

今夜の最後の映像だったコンペシーンは、1995年、フランスのエクスレバンで開催されたワールドカップの決勝である。この大会には、日本からは二人の女子と3人の男子が出場した。ユージは、準決勝を完登して決勝に進んだ。しかし、彼の望んだ結果は得られなかった。もちろん、彼がこの結果に満足するはずはなかった。彼は、この後もヨーロッパで活動を続け、世界チャンピオンのタイトルを獲得した。そして、最近のヨセミテでの活躍については、皆さんが良く知っている。そして、昨年と今月に彼の成し遂げたこと、そして、これからの一年の平山ユージについては、このあと、ユージ本人から語られる、その魂の躍動の物語について。

最後に、ある無名の勇者の言葉を贈りたい。
なぜなら、たぶん、平山ユージは、この言葉にとても良く似合う人だと思うからだ。

To try is to risk failure.
But risks must be taken, because
the grestest hazard in life is to risk nothing.
The person who risks nothing,
does nothing, has nothing, and is nothing ....
Only the person who risks is free.
-Anonymous

挑戦には、リスクがともなう。
しかし、私たちは、そのリスクを引き受けなければならない。
なぜなら、
人生におけるもっとも深刻な危機とは、
なんのリスクも、ないということだからだ。

いっさいのリスクを拒否し、引き受けようとしない人は
なにひとつ成しなしえない
そして、なにひとつ得ることもない。

その人の「存在」、
その人の人生そのものが nothing なのだ

リスクを引き受ける人だけが「自由」を成しとげる
彼女/彼だけが、ほんとうの意味で「free」なのだ。

翻訳 宗宮誠祐

これで第一部を終わります。ありがとうございました。
****************

  1. 2013/02/27(水) 05:20:05|
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