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宗宮誠祐のblog

恵那のジムボンクラージュ(半田市Dioも)の代表blog

「フリークライミング、わが人生」フリージオからの依頼原稿

天下峰の平日立入禁止?問題について、ここ数年の間にクライミングをはじめた人と話していて、ジェネレーションギャップを感じました。

ぼくがクライミングをは始めたのは、1980年前半なので、当たり前と言えば、当たり前ですが、笑。

本問題についての個人的見解を述べる前に、いくつか、当時の雰囲気、つまり、現在に比較してクライミングの社会的認知の少なかった時代にクライミングを選択したクライマーたちの心情とでもいうのでしょうか、それをお伝えしておいた方が良いかもな、と感じています。

そこで、三つほど、昔に書いた文章をご紹介することにしました。すなわち、以下です。

(1)1994?「フリークライミング、我が人生」
(2)2003 「平山ユージを紹介する」
(3)2003 「平山ユージの紹介の最後に」

今日は、とりあえず、(1)をご紹介します。

これは、名古屋駅のフリージオ( 名古屋駅構内におけるスポーツ&レジャーをテーマにした新業態開発計画)に依頼されて書いたものでした。

フリークライミング、わが人生

************
いつも思うことがあります。

それは一人前のフリークライマーになるためには多くの障害を乗り越えなければならないということです。
まずこのスポーツは大変にマイナーです。
東海三県では、数百人ぐらいしか、この遊びを知っている人はいないでしょう。
そのうえ岩は山奥や海岸の崖にしかありませんから、なかなか見ることもかないません。

しかし、運良く(もしかしたら運悪く)クライミングと出会い、いっちょやったろか、となったとします。
ここであなたは2つのハードルを越さねばなりません。

ひとつは、だれに教えてもらうか、ということです。
しかし最近は名古屋にクライミングジムがオープンしたり、山岳雑誌にスクール案内が掲載されたりしていますから、師匠を見つけることは、やる気さえあれば、それほど難しくはないでしょう。

問題は周囲の同意を取り付けることにあります。

「落ちたら死んじゃうんでしょう」

クライミングが話題になると、たいていの人がこうおっしゃいます。

「そんなことはありません。落ちてもロープをつけているから だいじょうぶです」
「落ちたことがあるんですか?」 「ええしょっちゅう」

こちらは安全なことを理解してもらおうとするのですが、会話がこのあたりまで来ると、もうだめです。
相手の方は顔面蒼白。
とんでもないと言う表情に変わってしまいます。
もちろんクライミングに危険が伴うことは事実ですが、車の運転の方がはるかに危ないと思います。
しかし、クライミング=危険=死と言う条件反射は強固で、 クライミングをはじめようとする者はこの偏見と戦わねばなりません。

次の問題は上達にけっこう労力がかかるということです。
週2日は登るべきでしょう。
そして、やっかいな?ことに登れば登るほど自分がウマクなるのがハッキリと分かります。
適性がある人ほど休日のすべてをクライミングに消費するようになるでしょう。
いい忘れましたが、クライマーは凝り性でなければつとまりません。

当然、あちこちからクレームがつきます。中でも強烈なのは彼女(彼)からのそれです。

「わたしとクライミングとどちらが大事なの」

この一言で多くのクライマーが戦線を離脱します。しかし、中には踏みとどまる者もいます。

「そんなのクライミングに決まっとるがね」

ここまで来ると、症状は末期的で、たいていのことは怖くありません。
学生なら自主休講・休学・中退。
社会人なら有休の完全消化・社員旅行や飲み会の欠席・退職・転職。
クライミング日数を増やすためなら何でもありです。

とにかく岩を攀じっていれば幸せで、人生はクライミングのためにある。
クライミングさえできるなら、お金も地位も名誉も要らない。
おおげさですが、そんな感じです

「Climbing is my lifestyle」 これは日本を代表するクライマーの台詞ですが、クライミングにのめり込んだ人間の心象を精確に描写していると思います。

どうして、そうまでしてクライミングをしたいんだろう?
皆さんの多くが、思われることでしょう。
本当のところ、クライマーたちにもよくわかりません。

ただ、夕方クライミングを終えて帰る時、今日は良い一日だった、心地よい疲労感と共にそう思います。
そして、また明日も登ろう、とも。

たとえ世間の常識とはずれていても 「こんなおもしろいこと、やめられるわけがない」し、保険会社やお役所の予定表どおりの人生なんて真っ平ごめんということなのです。

クライミングがまだ社会的認知を受けていないこの国では、周りの事情に左右されず自分の価値観にできるだけ忠実であることは、クライマーであり続けるための必要十分条件です。
************

ぼくのクライマーとしての感性は、このころ、できあがってしまったのだと思います。
それが、今の時代のみなさんと判断が異なる場合がある理由の一つのような気がしています。
  1. 2013/02/25(月) 20:18:16|
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