1993年といえば、もう、20年前になんなんとする大昔です。
ぼくは、ぼくの知る限りのクライマーに、一枚のはがきを投函しました。
たしか夏頃だったと思います。
まあ、ある意味、一種のラブレターのようなものでした、笑。
葉書には以下のようなことを書きました。
もっと、もっと、クライミングうまくなりたいと考えています。
そのためには、雨の日も登れる壁が、どうしても必要です。
一緒に、クライミングジムを作りましょう。
そのためには、お金が必要です。
1人1口5万円の出資、考えてください。
お願いします。
30人、仲間が集まったらクライミングジム作りを開始します。
幸いにも、20人くらいの賛同者を得て、緑区大高の鉄工所の一部を、たしか3万円/月で借り、みんなでクライミングジムを手作りしました。これが、東海地方初の室内クライミングジム「ロックジム破天荒」の生い立ちです。ホールドさえも、大半が手作りでした。骨組みは鉄骨、豊田の開拓で名高いMさんが作ってくれました。
(当時は、ぼくの所属する東海山岳会会長宅のガレージと一社のセントラルフィットネスのウォールが東海地の数少ない室内ウォールでした。ぼくは、セントラルフィットネス一社オープンから一年ちょっと、ここでクライミング講習をしていました。ただ、この壁はトレーニングジムやプールと併設で、。ぼくたちは、どうしても、かぶった壁のあるクライミング専用ジムを必要としていたのです。ある者は鳳来の高難度ルートを登るために、ある者はコンペで戦うために、ある者は世界を目指すために)
あれから、20年がたちましたけど、ぼくにとってのクライミングジムの定義は、あのときに、確立してしまったように思います。
つまり、クライミングジムとは、外岩クライミングを志向する人々が、各自のスキルを提供し合って運営するクラブである。営利は第一目的とはしない。
もちろん、絶対に、コマーシャルジムは作らない、そういうわけではありません。例えば、カナダのウィスラーリゾートは本当に素晴らしいスキー場です。もちろん、リフト券の高さは一級です。でも、それだけの価値があります。ぼくも、機会にめぐまれれば、ちゃんとした、笑、コマーシャルクライミングジムを作ってみたいと密かに思っています。
http://ww1.whistlerblackcomb.com/japan/index.htmただ、ぼくのクライミジムについての理想をスキー場にたとえると、コマーシャルスキー場たるウィスラーリゾート(個人的には大好きですが)ではなく、クラブスキー場たるニュージーランドのテンプルベイスンということになるわけです。
http://www.templebasin.co.nzかつて、ニュージーランドに滑りに通っていた頃、リフトはT バーのみ、レストハウスも必要最小限、場合によっては、「客」が、日替わりで、リフト係や食事係をするんだよ、というテンプルベイスンの話を聞いて、すげえなあ、と、ものすごく、感動しました。
そんなわけで、クラブとしてのクライミングジム、がんばりたいと思います。
追記
旧破天荒は、1995年春に、とある事情で閉鎖されましたけど、その資材や精神?は、1995年5月にオープンした現在のロックジム破天荒(緑区鳴海町山腰25)に受け継がれて、今日に至っています。
- 2013/02/06(水) 12:25:39|
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